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ヘルペス・自己免疫疾患・リウマチ・アトピー・アレルギー・ガン・原因不明の病気を、抗ヘルペス剤・漢方煎剤・鍼灸を用いて自分の免疫で治せる松本医学

代表的な症例報告

アトピー性皮膚炎 症例報告

 

症例報告1例目 病名:アトピー性皮膚炎 患者:当時3歳 男性

アトピーで赤黒くなっていた皮膚が、数か月で完全に綺麗な皮膚に戻りました。当院を受診するまで、一切ステロイドを使ってこなかった患者さんは、リバウンドがないために比較的簡単に完治します。

この患者さんは、1歳になった頃、顔や腕やお尻などを血が出るほど掻きむしり、痒みで夜も眠れず泣き叫ぶ日々が続きました。2歳頃になると背中から始まり、腹部や顔と全身に赤い斑点ができ、リンパ液が流出してしまいました。痒みがひどくて、昼寝の前後や夜中に泣き叫び、掻いて血だらけになっていたそうです。リンパ液が流出する症状は、ヘルペスとの戦いによる症状です。この患者さんのお母さんも、幼い頃からアトピー性皮膚炎のためステロイド剤を服用されていましたが、20代の頃にステロイド剤を止めたことによるリバウンド現象を経験したため、こんな状況でも息子さんにはステロイド剤や抗ヒスタミン剤などを使わないようにしたそうです。

そんな壮絶な日々が続き心身ともに限界だった時に、インターネットでステロイド剤や抗ヒスタミン剤を一切使わない医者を探していると、偶然当院を見つけられました。東京在住の方でしたが、すぐに大阪の当院に来院されました。アトピー性皮膚炎に効く漢方煎じ薬と漢方風呂と漢方塗り薬2種類、一つは書き傷を治す漢方塗り薬と一つはヘルペスが増えないようにする漢方塗り薬と、感染症が起こって発熱があったので抗生物質と抗ヘルペス剤顆粒と抗ヘルペス剤軟膏を処方し、いつでも対応できるように私の携帯番号を伝えました。

当院での処方:アトピー性皮膚炎に効く漢方煎じ薬、漢方風呂、漢方塗り薬赤色と黄色2種類、抗生物質、抗ヘルペス剤顆粒、抗ヘルペス剤軟膏。

毎日、漢方風呂を煎じて出来るだけ長く入ってもらい、お風呂から上がったらすぐ漢方の塗り薬と抗ヘルペス剤軟膏を塗り、漢方煎じ薬は独特な苦味があるのでジュースや甘酒に混ぜてちゃんと飲んでもらうように指示しました。漢方風呂に入るのを痛がって逃げ回ったり、夜中も痒くて眠れず、大変な日々が1ヶ月ほど続きました。

治療を始めて1ヶ月後、顔の症状から良くなり始め、徐々に全身の症状が良くなりました。今ではほとんどアトピーだと分からないまでに皮膚が完全に綺麗に戻りました。夜も普通に眠れ、お友達とも遊べるようになったそうです。

生後生まれて間もない赤ちゃんがアトピーを発症することが多くなっているのは、現代文明社会に生きるお母さんの母乳には大量の化学物質が含まれているからです。この化学物質を認識しやすい遺伝子を持って生まれた赤ちゃんが、それをIgEで排除しようとするとアトピーの症状が起きるのです。またお母さんがアトピーになりやすい遺伝子を持っていると、子供さんもアトピー性皮膚炎を起こしやすくなります。さらにお母さんがアトピーの治療でステロイドを使っていた場合、ヘルペスウイルスも確実に増えていますから、増殖したヘルペスを免疫が見つけ出して起こす激しい戦いに耐えなければなりません。この時に抗ヘルペス剤を服用しないと、ヘルペスと免疫の戦いによって、体中がチクチクしたり、ピリピリしたり、大量に皮膚からリンパ液が流出し、激しい倦怠感が続きます。したがって、現代の皮膚病はアトピーとヘルペスの二つの病気に対処しなければなりません。

アトピーが治るということの意味は、アレルゲンに対して患者さんの免疫が自然後天的免疫寛容を起こし、アレルゲンと共存することができるようになったということです。ヘルペスの症状も治ったという意味は、体内に残っているヘルペスを殺し切ったということではなく、殺しきれなかったヘルペスが細胞にこっそり逃げ隠れていて、免疫が細胞の中に潜んでいるヘルペスを増殖させないように細胞の中に遺伝子の状態だけでのエピゾーム感染(潜伏感染とか環状遺伝子状態)にして細胞の外に出ないようにしているということなのです。今後、強いストレスが長くかかりすぎたり、副腎皮質ホルモン(ステロイドホルモン)を使用したりすると、ヘルペスは遺伝子だけの潜伏感染から再び目を覚まします。そして遺伝子だけをまず大量に複製し始め、さらにスパイクやエンベロープやカプシドなどの部品を作り始め、最終的にビリオンといわれる自分とそっくりのコピーである完全なヘルペスウイルスを作り、別の細胞に次々と感染していくのです。それどころか別の人間にも感染していき、これを人間が死ぬまでこっそり繰り返す恐ろしいウイルスなのです。

 

症例報告2例目 病名:アトピー性皮膚炎 患者:当時4歳、男性

 

治療を始めて1年半、ステロイドを完全に断ち、最後はアレルゲンである特定の化学物質と共存できる免疫寛容を起こしアトピーを完治させました。

他医院にて生後2ヶ月でアトピー性皮膚炎と診断され、処方された抗アレルギー剤やステロイド軟膏を使いましたが、4歳を過ぎても良くならず、アトピーの症状が続いたため、母親の判断で抗アレルギー剤やステロイド軟膏を一時的に止めました。

前の病院での処方:抗アレルギー剤、ステロイド軟膏。

 

抗アレルギー剤やステロイド軟膏も一時的に見かけの症状を抑えるだけです。抗アレルギー剤はステロイドほどのリバウンドではありませんが、抑えた分だけ必ずリバウンドが生じます。免疫を抑える作用が一番強いものはステロイドの注射であり、次にステロイドの錠剤、次にステロイドの軟膏です。抗アレルギー剤や抗ヒスタミン剤は、ステロイドと比べものにならないほど弱いものです。逆に言えば、ステロイドを使っている時に抗アレルギー剤や抗ヒスタミン剤を使う意味は全くありません。つまり核兵器と通常爆弾を一緒に用いるようなものなのです。

前の病院を辞めてから、ヨモギ風呂やドクダミなどの自己流でステロイドのリバウンドを乗り越えようとされましたが、アトピーの症状が悪化し、感染症にかかってしまいました。このように自己流でステロイドのリバウンドを乗り越えて免疫寛容を起こすことは極めて難しいのですが、リバウンドそのもので死ぬことはありません。

その後、アレルギー専門病院で処方された抗アレルギー剤を服用しましたが、症状が徐々に酷くなっていき、それに従って抗アレルギー剤からさらに強いステロイド軟膏を塗るようになりました。また家の掃除の徹底や食事の制限、アトピーが出ている場所を掻かないようにするなどという制限がかかり、お母さんは疲労困憊だったようです。しかし、衛生状態の悪い発展途上国であってもアトピーの人は全くいませんし、食事の制限も全く無意味なものです。制限すべきは食事に含まれているタンパク質と結びついた化学物質だけです。

結局ステロイドを止めたくても止められず、使い続けることに悩んでいたところ、ステロイドを一切使わず漢方煎じ薬を処方する当院を知り、受診されました。初診時は、ステロイドを止めて1ヶ月が過ぎた頃でリバウンドがとても酷かったため、殺菌作用の消毒液と、アトピーの漢方煎じ薬、血行を良くし免疫を上げる漢方風呂、抗ヘルペス剤のアシクロビルを処方しました。何かあればいつでも連絡できるように私の自宅の電話番号を教え、的確な指示や母親の話を聞いて不安を少しでも和らげるようにしました。

当院での処方:消毒液、アトピーの漢方煎じ薬、漢方風呂、抗ヘルペス剤(アシクロビル)。

リバウンド時期はとても痒みが酷く、夜は眠れずに何度も泣き、朝になるとシーツが血だらけになる状態が続きました。処方した消毒液を体全体に塗る時もヘルペスによる傷が染みて痛がり、消毒液を十分に塗れずに感染症を起こして熱を出したときもありました。アトピーの治療で最も大事なことの1つは、黄色ブドウ球菌感染症の対策です。黄色ブドウ球菌は20分に一度増殖し、ねずみ算式に増え12時間で何千万個にもなります。1個1個のブドウ球菌は皮膚を壊死させるα毒素を大量に出し、どんどん皮膚を潰していき症状がますますひどくなります。したがって消毒によって黄色ブドウ球菌を殺すことはとても重要なことです。子供が泣いても叫んでも絶対に消毒する必要があります。さらに熱が出れば必ず抗生物質を飲まなければなりません。また、リンパ液が体外から出続けると体重が減少し、脱水症状や栄養不良の状態になることもあるので、この状態から乗り越える手助けをすることが私の仕事となるのです。またヘルペスにも感染していたため、体全体に炎症が起こり、出血や滲出液、さらに微熱が2週間くらい続きました。ヘルペス感染も初感染である時には症状が非常に激しくなります。その時には抗ヘルペス剤を服用する必要があります。

1ヶ月後、症状が少し良くなったり、悪くなったりを繰り返しましたが、それから半年が過ぎた頃にはアトピーの炎症が体全体から部分的になっていきました。痒くて皮膚を掻き破っても数日で治まってくるようになり、徐々に患者さんの皮膚が強くなってきました。

そして治療を始めて1年半、ステロイドを完全に断つことができ、アトピーの部分が完璧にきれいな皮膚になり無事に完治されました。

 

症例報告3例目 病名:アトピー性皮膚炎 患者:34歳、女性、会社員

30年間もステロイドを使用され、アトピーの根本的治療を探し続ける中、当院を見つけられた患者さんです。

この患者さんはアトピーの症状が出始めたのが生後数ヶ月頃からで、膝裏、肘裏などの関節部位に湿疹が出ていたそうです。その頃にはステロイド軟膏を他医院の医師の言う通りに塗っていました。 前の病院での処方:ステロイド軟膏。

しかし、この患者さんも例外なくステロイドのリバウンド現象が出現し、アトピー性皮膚炎の症状は悪化する一方だったそうです。ステロイド軟膏を塗っていた箇所の皮膚や体毛が薄くなり、さらには関節部分以外のところにも湿疹が出始め、夜中に掻いていたため朝に目覚めるとシーツや布団が血だらけになりました。またステロイド軟膏を手で塗り続けていたため、拍手するだけで手のひらから簡単に出血するようになってしまいました。のちに患者さんは病院を転々とされましたが、どこの病院も同じステロイド軟膏を処方されるだけだったそうです。

さらに中学生になると顔にも湿疹が出始め、周囲の人の眼が気になってしまい、とうとうステロイド内服剤を1年ほど服用してしまいました。ステロイド内服薬を飲んで一時的に顔の湿疹が綺麗になくなりましたが、顔が一気に膨らみムーンフェイスになってしまいました。ステロイド内服薬を止めても、ステロイド軟膏は変わらず使っていました。

ステロイドを用いるとなぜムーンフェイスのなるのでしょうか?ステロイドは別名、糖質ホルモンといいます。このステロイドは、肝臓で糖を合成する働きを高め、筋肉で糖を利用するのを阻害します。この結果、体内の血糖値が上昇します。血中の余分な糖質は中性脂肪へと変わり、蓄積されていきます。ムーンフェイスは、前駆細胞が多い顔に集中して脂肪沈着することで引き起こされるのです。また、ムーンフェイスの両頬は毛細血管の拡張によって赤くなってしまうこともあります。

前の病院での処方:ステロイド内服薬、ステロイド軟膏。

症状が段々悪化し、アトピー性皮膚炎の根本的治療を探していたところ、知人の紹介で当院を見つけて受診されました。アトピー性皮膚炎に効く漢方煎じ薬、漢方塗り薬2種類、漢方風呂、抗ヘルペス剤を処方し、しばらく経過を見ました。

当院での処方:漢方煎じ薬、漢方塗り薬、漢方風呂、抗ヘルペス剤。

治療開始後すぐにリバウンドにより症状が悪化し、特に耳の下、手、足、お尻の付け根がジュクジュクと滲出液が出てきて痒くなり、1日中掻きまくっていたそうです。今まで溜め込んでいた化学物質を排出しようとIgE抗体が働き、痒みとなって排出するので、どんどん掻いて楽しんでいただきました。黄色ブドウ球菌やレンサ球菌、ヘルペスによる細菌感染症に注意を払います。漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を服用してもらい、さらに漢方風呂に長時間入ってもらって血行を良くして免疫を上げます。抗菌と抗ウイルス作用のある黄色の漢方塗り薬と血流を良くし傷の治りを良くする赤色の漢方の塗り薬2種類を塗るように指示しました。

3ヶ月後には体調が良くなり、リハビリとして職業訓練の学校に通えるようにもなりました。3年経過した今では就職もされて普通の生活を送れるようにまで回復されました。

以下の表にTARKとIgEの経過を示しかつ数値の意味付けをしましょう。TARKもIgEもリバンドで上昇した後、自然免疫寛容を起こして値が下降していくことがお判りでしょう。 血液検査の値

実施日

2012/7   IgE(IU/mL):134

2012/12  IgE(IU/mL):4950

2013/6  IgE(IU/mL):3935

2013/11  IgE(IU/mL):3587

2014/10  IgE(IU/mL):1094  TARC(pg/mL):548

2015/12  IgE(IU/mL):1300  TARC(pg/mL):329

2016/2  IgE(IU/mL):908  TARC(pg/mL):372

TARCはアトピー重症度の指標、IgEは免疫寛容の程度を示します。 TARCは、thymus and activation-regulated chemokineの頭字語であり、ケモカインの一つです。TARCが高いほど、アトピー性皮膚炎の炎症が強いのです。またIgE抗体の値はリバウンドが始まると高くなっていきますが、最高点に達した後は徐々に下がっていき、症状も良くなっていきます。この最高点を私は免疫寛容点と名付けています。ストレスがない限り、ステロイドをやめれば全てのアレルギーの患者さんがたどるコースです。

 

 

アレルギー性鼻炎・アレルギー性結膜炎 症例報告

 

症例報告1例目 患者:19歳 男性

この患者さんは、幼少期から気管支が弱く、風邪をひくとよく気管支炎を発症していたそうです。その度に気管支拡張剤や去痰剤などを使用してこられました。小学校に上がると、目の痒みや鼻水が多くなり始め、教室の埃や校庭の砂などの影響で目を掻くので、充血し、目が開けにくくなったため眼科を受診。春季カタルと診断されました。1%ステロイド点眼薬とアレルギー点眼薬を処方され、使い始めました。数ヶ月経過してもあまり改善が見られず、今度はパピロックという免疫抑制剤の使用を提案され、左目に1日3回使用し始めました。その時に医師からは、「春季カタルに効果はあるらしいが、まだ使用例が少なく、副作用もはっきりわからない」と言われたそうです。

眼科での処方:1%ステロイド点眼薬、アレルギー点眼薬、パピロック

鼻炎もあったので、耳鼻科も受診されており、こちらでは抗アレルギーの内服薬を使用されています。アレルギーの検査で、ダニとハウスダストがアレルゲンになっている事がわかりました。医師から減感作療法が最良の治療ですと勧められ、2005年5月、8歳の時にこの治療を始められました。最初は週に1回から始まり、その後月に1回になり、2年間続けましたがましたが、あまり改善は見られませんでした。

耳鼻科での治療:減感作療法

眼科もインターネットで見つけた別のところに変更されましたが、そこでもパピロック点眼とアレルギー点眼と抗アレルギー剤を処方されました。医師から、副作用はないから大丈夫と笑顔で言われたそうです。結局パピロックは、目が乾く感じがするということで使用を中止されました。

別眼科での処方:パピロック点眼、アレルギー点眼、抗アレルギー剤

インターネットでアレルギーの病院を検索しているときに当院を発見され、2011年9月、中学3年生の時に受診されました。アレルギー性鼻炎とアレルギー性結膜炎の漢方煎じ薬を処方しました。1ヶ月も経たないうちにリバウンドが出現し、目が充血し、夜中に目を掻くようになり、朝は特に目が腫れ、目を開けられない程になりました。光が眩しくて朝に電気をつけられなくなりました。太陽が眩しく、物や人にぶつかりそうになって危険なので、自転車での通学を電車通学に切り替えられました。目の痛さと浸出液で夜眠れないとの相談を受け、抗ヘルペス剤を処方。抗ヘルペス剤を飲むと少し痛みは和らいでいたようです。目を掻き過ぎて感染を起こしたり、見た目にもわかるほど下瞼が腫れました。それまでやってきた減感作療法や、使用してきたステロイド点眼薬、免疫抑制剤の点眼薬などの量が多く、リバウンドも激しいものであったと考えられます。ただリバウンド自体で目が見えなくなることは絶対にありません。

1年後の秋頃には、このような症状も落ち着き始め、浸出液も出なくなり、普通の生活が送れるようになりました。

当院での処方:アレルギー性鼻炎とアレルギー性結膜炎の漢方煎じ薬、抗ヘルペス剤

 

気管支喘息の症例報告

 

1例目 患者:3歳 男性

この患者さんのお母様は、当院に来られるまでに、色々な病院に通院され、免疫を抑える治療をしてこられました。生まれて間もなく全身に湿疹ができたため、近所の小児科を受診すると、ステロイドの入った軟膏を出されました。

小児科での処方:ステロイド軟膏

生後9か月のときに再び蕁麻疹が出現し、出た時に名古屋○○病院に受診。即ステロイド点滴を行い入院となりました。また、その後少し蕁麻疹が出ただけでも、リンデロンを飲むように指導されました。

名古屋○○病院での処方:ステロイド点滴、リンデロン内服

2歳の誕生日を迎えた数日後、初めて喘息の発作が出現。それから約1カ月間、数々の小児科と名古屋市立大学病院、中京病院を受診。処方される薬は大体同じで、発作が起きたときは吸入をして、良くならなければステロイド点滴を受けられました。

その後通院した医療機関での処方:頓服用吸入、ステロイド点滴

1ヶ月後に当院を受診。漢方を飲み始めます。一度ひどい発作を起こした時以外は、一度も他の病院へ行かず、ステロイド等を使用せずに済んでいます。徐々に発作の回数は減少し、しんどさも楽になっています。

発作が起きた回数

2010年

11月:7回

12月:14回

2011年

1月:14回(一度ひどい発作が起きたので中京病院で吸引をした)

2月:8回

3月:6回

4月:3回

5月:5回

6月:1回

7月:0回

8月:1回

9月:2回

10月:2回(2回とも軽い発作が1週間ほど続いた)

11月:1回(軽い発作が1週間ほど続いた)

12月:2回

2012年

1月:2回(1回目は軽い発作が1週間ほど続いた)

2月:2回(1回目は軽い発作が1週間ほど続いた)

3月:0回

4月:1回

5月:1回

6月:0回(熱が出た日もあったが、発作は起こらなかった)

7月:3回

8月:0回(熱が出て痰が絡むような咳が出たが、呼吸困難にはならなかった)

 

当院での処方:喘息の漢方煎じ薬

 

2例目 8歳男性(5歳〜8歳まで当院で治療)

この患者さんは、2歳半頃、風邪をきっかけに、ヒューヒュー、ゼーゼーと喘息の症状が出現し、息が苦しくなり始めました。小児科を受診し、キプレスを就寝前に1回、30日分処方されます。風邪をひくたびに咳の症状がひどくなり、パルミコートを処方されます。この頃、肌がガサガサしてアトピーも出現しました。

小児科での処方:キプレス、パルミコート

4歳の時に東京に引っ越しをされましたが、急激に喘息の症状がひどくなり、小児科を受診。1日3回吸入しないと肺炎になると言われ、ホクナリンテープ、メプチン、インタール、パルミコートを処方されます。皮膚がカサカサしているところにも、ステロイドを塗るよう指示されます。あまりにもたくさんの薬が出るため、その病院をやめられました。

小児科での処方:ホクナリンテープ、メプチン、インタール、パルミコート、ステロイド軟膏

次に、薬をあまり出さないと言われている別の小児科を受診されましたが、吸入、テープ、薬を全て使うように指示されました。

その後、喘息を発症してから2年後、5歳のころに当院を受診されました。実はこの患者さんのお母様も、当院の元患者さんであり、ステロイド軟膏をやめて漢方煎じ薬によってアトピーを治したことがありました。アトピーのステロイド軟膏さえ使わなければ、喘息のステロイド吸入は使っても大丈夫だと誤解されていたようです。

当院での処方:喘息の漢方煎じ薬

発作はしばらく起きていなかったのでキプレスのみ服用されていましたが、キプレスを止めて翌日の明け方には、喉からヒューッと音がして、喘息の症状が出現しましたが、1週間たらずでその症状はなくなりました。風邪をひいてしまうと、喘息がひどくなりましたが、喘息の漢方煎じ剤を2番煎じまで飲んでもらい、さらに葛根湯を服用してもらいました。背中をさすったり、腹式呼吸をしたり、空気を入れ替えたり、咳が出て眠れないとなれば、ソファに座らせ抱っこするように眠らせたりと、色々工夫をされたようです。このような症状も4〜5日で回復しました。その後も何回か風邪をひかれましたが、少しずつ回復するまでの日数が短くなってきているようでした。

6歳の春、花粉の季節になると咳が出てきたので、漢方の粉薬を処方。秋になり、また風邪をひきましたが、漢方を飲むと症状がおさまり、1日中苦しいということはなくなり、2〜3日もあれば回復しました。

7歳の春、花粉による咳が出るものの粉薬を飲めば回復しました。また、肘と肩にアトピーが出現したので、漢方の軟膏を処方し、症状はすぐに落ち着きました。秋~冬、風邪をひいて咳が出ても、ゼーゼーと喘息の症状は出なくなりました。冬にインフルエンザにかかり、久しぶりに咳は出ましたが、苦しくて夜眠れないことはありませんでした。

8歳の頃、1日4回飲んでいた漢方を2回に減らしました。さらに、1日1回にして、最終的には0回にしました。風邪をひくと久しぶりに喘息が出ましたが、漢方煎じ薬を服用し1日で回復しました。IgE抗体:331

 

3例目 患者:36歳女性

 

この患者さんは、14歳の時から慢性的なアレルギー性鼻炎に悩まされ、特に秋頃に症状がひどくなり、そのたびに耳鼻科で抗ヒスタミンを処方してもらってその場を凌ぐということを20年も続けてこられました。ところが、2002年10月、風邪をきっかけに、突然息も出来なくなるような喘息の発作に襲われます。喘息と診断され、何かの薬を処方され服用したものの、一向に咳は止まらず、夜も眠れない状態が続きます。再び近所の内科でプレドニン注射を打たれました。医師には、喘息には一般的に使う薬だから心配しなくていいと言われたそうです。咳はぴたっと止まりましたが、胸を押さえつけられるような圧迫感があり、咳だけが無理やりに止められているような感覚だったそうです。さらに指先が震えだし、仕事でパソコンを打ったり、ペンを持てなくなったり、仕事に支障が出始めました。

他医院での処方:抗ヒスタミン剤、プレドニン注射

そんな時に、偶然インターネットで検索して当院を発見されました。漢方煎じ薬は生まれて初めてだったそうですが、服用してすぐに喉が楽になったということでビックリされたそうです。胸の圧迫感も楽になり、その夜から熟睡することができました。夜は副交感神経が優位になって免疫が上がるため、喘息の発作が出やすくなります。喘息の患者さんはなかなか寝付けないと悩んでいる方が多いのですが、漢方煎じ薬を飲んだその夜からぐっすり眠れたということはとても嬉しかったでしょう。

当院での処方:アレルギー性鼻炎と気管支喘息の漢方煎じ薬

初診から1年間、喘息の発作はその後12月に1度出ただけで、それもすぐ治まり、その後は、全く咳も出なくなりました。さらに咳だけではなく、20年以上も悩みつづけてきたアレルギー性鼻炎の症状も軽くなってきました。夜ぐっすり眠れるので、昼を元気に過ごすことができ、毎年のように引いていた風邪も引きにくくなってきたそうです。もともとあった生理痛、腰痛、冷え性もほとんどなくなったとのことです。

 

リウマチの症例報告

 

1例目:23歳女性

 

〔 2001年 〕

この患者さんは、大学2年ぐらいから、度々指や顔に湿疹のようなものができることがあったので、たまに皮膚科に行き、強いステロイドを何度も塗っていたそうです。

皮膚科での処方:ステロイド軟膏

 

〔 2003年7月末 〕

大学4年の夏休みに、ヒールを履きながら8時間立ちっぱなしの短期バイトをされ、2日目の途中から足が痛み出しました。左膝がまるで固まったように動きが鈍くなり、翌日は腫れたため、整形外科を受診されました。「水が溜まっているけど、量が少ないから、抜かなくても自然に治る。」と言われ、しばらく放置しますが、1ヶ月ほど経っても一向に腫れがひかないので、別の整形外科を受診。しかし、そこでも同じことを言われるだけでした。

 

〔 2003年10月末 〕

相変わらず左膝の腫れはひかず、少し歩きにくくなってきたので、今度は大学の近くの整形外科を受診。ここでは水を抜くことになり、検査の結果、滑膜炎と診断され、手術が必要かもしれないと言われ、御茶ノ水にあるN大病院を紹介され、精密検査をするように勧められます。

 

〔 2003年11月 〕

N 大病院では水を抜いた後、ステロイド注射を打たれますが、説明はなかったそうです。精密検査の結果、やはり手術が必要と診断されました。医師は「手術といっても、組織を少し採って検査するだけだから、たいした事はなく、2〜3日入院するだけ。」と患者さんに告げたそうです。

N大病院での処方:ロキソニン、ケルナックカプセル

 

〔 2003年12月上旬 〕

検査のための簡単な手術と聞かされていましたが、手術の同意書には左膝鏡視下滑膜切除術と書かれていました。手術は数時間にも及び、結局は1週間入院され、退院後2〜3週間ぐらいは松葉杖の生活でした。その後、「かなり増殖していた滑膜をきれいに掃除した。」と聞かされ、不信感が募ります。

N大病院での治療:左膝鏡視下滑膜切除術

 

〔 2003年12月下旬 〕

突然ひどい下痢を発症。その後2週間ほど下痢と体調不良が続き、高熱の出る日もあり、整形外科を受診。手術の生体検査の結果、消去法でリウマチかもしれないという仮の診断が出ました。薬は抗リウマチ薬であるリマチルに変わり、ボルタレン、ケルナックカプセルも処方されました。リウマチ因子は陰性であったため、薬を飲むことには少し抵抗感があったそうですが、医師の言葉を信じて飲み始めました。

整形外科での処方:リマチル、ボルタレン、ケルナックカプセル

 

〔 2004年1月上旬 〕 なかなか体調が良くならないため、同じ大学病院の内科を受診。血液検査の結果、肝機能障害を起こしていました。命に関わると言われ、即入院となります。患者さんはリウマチの薬が原因なのではと疑いましたが、診断の結果、EBウィルス肝炎の疑いが強いとのこと。念のためリウマチの薬は一旦中断することになりました。後で、患者さんは免疫を抑える様々な薬によって免疫力が低下し、EBウイルス感染も起こしていたという簡単な理由に気付くことになります。

 

〔 2004年2月 〕

肝機能は正常に戻り、体調も一時回復したので、足の治療を再開し下旬に整形外科を受診。中断していたリマチル、ボルタレン、ケルナックカプセルを再開します。すると翌日、急に 39℃の発熱。おかしいと思い、医師に相談すると「ボルタレンは、むしろ解熱作用がある」と言われ、服用を継続しますが、頭痛、倦怠感、喉の痛み、鼻水、胃痛、微熱などの症状が続いたので、風邪薬も同時に服用していました。このとき口内炎もできたので、ケナログという薬も塗りました。この頃の左足は、朝起きてから数時間はしびれて固まってしまったような感じで、昼頃になるとようやく動けるという状態でした。

 

〔 2004年3月上旬 〕

薬が、リウマトレックス、プレドニゾロンに変わりました。その後、肌が痒くなり、ミミズ腫れのようになったので、医師に相談すると、痒み止めのポララミン錠が追加されるだけでした。薬が変わっても、足の調子は変わらず、特に朝は大変だったようです。

整形外科での処方:リウマトレックス、プレドニゾロン、ポララミン

 

〔 2004年3月下旬~4月上旬 〕

ある朝起きると、左の頬の一部が肌荒れを起こし、あざのように黒く変色していたため、以前に通っていた皮膚科の薬を塗りました。この肌荒れは、痒みはないものの首のほうまで広がっていきました。

大学を卒業され、入社を控えた前日の3月31日、整形外科の診察を受けに行くと、医師にリウマトレックスが効いていないので、また手術が必要かもしれないと言われます。患者さんは大きなショックを受けられ、悩んだ末に入社することを諦めます。会社を辞めたことを知った医師は、筋力をつけるために、自身が出張診察に行っている温泉病院への入院を勧めてきました。その頃から、左肘が真っ直ぐ伸びなくなり、血液検査の結果、膠原病の疑いがあると診断されます。

 

〔 2004年4月下旬 〕

膠原病内科を受診。血液検査の結果、消去法でリウマチだと診断されます。このとき初めてMMP3の値を調べましたが、500以上ありました。右膝の腫れも出てきていたこともあり、患者さんは自分がリウマチであるということを受け入れたそうです。

 

〔 2004年5月 〕

何か良い方法はないかとインターネットで検索していたところ、私のリウマチに関する論文を発見されます。両親に連れられ、車で5時間かけてこられました。私の説明を聞いて、リウマチになったのは、幼少の頃から様々なアレルギー治療に使用した免疫抑制剤が原因であり、また薬を止めたころから左肘と右膝に症状が出てきたのはリバウンドによるものだということを認識されました。顔、首のアトピーは、漢方煎じ薬、漢方風呂、消毒液を処方し、リウマチには鍼灸治療も合わせて行うよう指導しました。プロテインは自分で買って、6杯飲んでもらいました。血液検査の結果、血沈:100、CRP:6.26

当院での処方:アトピーの漢方煎じ薬、漢方風呂、消毒液

 

両膝の状態はますますひどくなり、足を伸ばして寝ると、朝は曲がらない状態で、逆に曲げて寝ると、朝に伸ばすことができないので、朝起きるのが本当に辛かったそうです。歩行もかなり困難になり、階段の昇降もきつく、車椅子も検討しました。顔と首のアトピーもどんどんひどくなり、皮膚は黒く変色しました。入浴後は特に痒くて、アイスパッドを当てて鎮まるのを待ちました。顔と首のアトピーは、大学時に塗ったステロイドのリバウンドと、リウマチが一部クラススイッチして、痛みが痒みに変わったためと考えられます。化しているがもう始まっているのかもしれないと思いました。

 

〔 2004年6月 〕

血沈:185、CRP:6.98

電車で片道2時間半以上かかる当院に、週に 1 回のペースで通院されました。リウマチの痛みは足の指、足裏、右肘、手の指、首にも症状が出始め、徐々に痛いところが増えていきました。顔と首のアトピーは、痒みはまだあるものの少しずつ肌の色が戻ってきました。足と肘が動きにくく階段の昇り降りはまだ困難な状態であったため、段差の大きいバスや電車を使うのも苦労したそうです。また人とぶつかるのが怖いので、いつも隅を歩いたそうです。ご両親がお風呂用のテレビをプレゼントしてくれ、漢方風呂に30分ぐらいは入れるようになりました。煎じ薬は、3番煎じまで服用し、プロテインは、数回に分けて煎じ薬に混ぜて飲みました。出掛ける時もペットボトルに煎じ薬を入れて服用してもらいました。

 

〔 2004年7月〜8月 〕

7 月 血沈:110、CRP:6.15

8 月 血沈:90、CRP:3.81

手首、足首、足の付け根と、症状はどんどん広がっていくものの、7月に入ってから、少しだけ体が軽くなり、多少動けるようになりました。倦怠感も少しマシになり、右膝の曲がりも良くなってきました。顔と首の痒みがなくなり、今度は、右手の薬指と小指にアトピーが出てきました。鼻炎も出てきたので、鼻炎の薬が加わりました。下痢がひどくなったので、漢方煎じ薬を食前から食後に変更しました。

 

〔 2004年9月〜10月 〕

9月 血沈:50、CRP:2.22

10月 血沈:50、CRP:0.87

左膝も、少しずつ曲がるようになりました。徐々に痛い関節が減っていきました。10月になると、指のアトピーがひどくなってきたので、寝るときに、紫雲膏をたっぷり塗ってもらいました。

 

〔 2004年11〜12月 〕

11 月 血沈:49、CRP:0.28

12 月 血沈:28、CRP:0.18

左目にものもらいができたので、抗生物質を処方しました。この後、1ヶ月に1回のペースで、3〜4回同じ左目にできる。またひどい鼻炎や、喉の痛みが度々出ます。偏頭痛も1ヶ月に1回起こるようになり、大学生の時によく頭痛薬を飲んでいたので、そのリバウンドを疑いましたが、2〜3日休むと治りました。体の方はどんどん軽くなり、足も順調で、正座ができるようになりました。12月は、ディズニーランドにも行くことができ、リウマチであることをすっかり忘れて楽しむことができたそうです。

 

〔 2005年1〜3月 〕

血沈は3月から、CRP は1月から正常値となる

指のあかぎれがさらに悪化し、痒みもひどくなる。下痢がひどくなったので、煎じ薬の量を少し減らしました。一方、足の状態は良く、たくさん歩いても疲れにくくなりました。1月には、ついに小走りもできるようになりました。ちゃんと走れたのは、1年ぶりぐらいだったそうです。3月には、友達と旅行にも行けました。左膝以外で痛い部分はなくなっていました。

 

〔 2005年4月〜5月 〕

診察後、そのまま京都へ旅行に行き、哲学の道など2日間でかなりの距離を歩きましたが、足が痛くなることはありませんでした。GW にはテニスができるようになりました。

 

〔 現在 〕

血沈・CRP・アルブミン/グロブリン比・ZTT ともに基準値を保ち、MMP3も基準値に入りました。

偏頭痛は全く出なくなり、指のアトピーはまだ少し残ってはいるものの、顔と首のアトピーは外見からは全くわからなくなりました。関節の方は、疲れるとたまに指や肩が痛くなることはありますが、お灸をすれば1日で治りました。滑膜除去手術をした左膝の違和感は、まだ少し残っているようです。手術をしていなければ、もっと良くなっていたと思います。リハビリとしてお灸を継続するよう指導しました。

 

2例目:59歳 男性

 

この患者さんは、2013 年の秋に、左足小指の付け根の関節周辺に少しの腫れと違和感があり、いくつかの病院を受診されました。しかし、どの病院でも異常なしと診断されます。自身でリウマチを疑われ、地元の有名なリウマチ専門医を受診されます。血液検査を受けた結果、ほんの初期のリウマチと診断されました。医師は2種類の薬を処方しますが、薬についての説明は特になかったようです。服用後、体に違和感を覚えたため中止。翌日に薬を変更してもらいますが、これも服用後に気分が悪くなり、同様に中止。結果、病院を変えることにしました。

 

その後、患者さんがよくお世話になっている自然食品の店のご主人から口コミで当院のことを教えてもらい、私の論文を読まれて新幹線で来院されました。リウマチの病状は初期で軽く、漢方煎じ薬の服用と漢方風呂、お灸をするように指導しました。また動悸、めまい、耳鳴り、倦怠感といったその他の体の不調が多かったので、これらの神経症状に対しては抗ヘルペス剤を処方しました。

 

足の違和感は3日目でなくなり、関節の腫れも3ヶ月程度でなくなりました。現在もリバウンドは全く出ていない状態で、普通の生活ができるようになりました。

 

3例目:43歳 女性

 

この患者さんは、平成23年11月に第1子を37歳で出産されましたが、おむつを変える時に指が痛いと感じるようになりました。徐々に朝に指がこわばるようになり、症状が悪化してきたため、平成24年の10月に近所の整形外科を受診。血液検査の結果、基準値40倍未満の抗核抗体が2560倍という数値で、リウマチと診断を受けました。医師からはすぐに抗リウマチ薬での治療を勧められました。この患者さんのご家族もリウマチになった経験があり、現代のステロイドをはじめとする免疫抑制剤による治療の影響で、今なお苦しんでおられるため、抗リウマチ薬は服用せず、漢方での治療を望まれました。同月、東洋医学を取り入れている総合病院を受診されますが、漢方と抗リウマチ薬と両方を使用しなくてはならないということで、断念されました。

どうしてもステロイドを使わずに治療をしたいと思われ、インターネットで「リウマチ」「ステロイド使わない」をキーワードに検索をしていたところ、当院を発見されました。

私のリウマチの根本治療法と、当時ホームページに掲載されていた手記を読まれ、漢方と漢方風呂と鍼灸で免疫をあげて後天的免疫寛容を起こしてリウマチを治すという理論を理解されました。

平成25年8月に、家族に子供を預けて、東京の自宅から3時間以上かけて来院されました。初診時には病気への恐怖が無くなったとおっしゃっていました。リウマチの漢方煎じ薬を処方し、漢方風呂と鍼灸を毎日するよう指導しました。お灸を始めて1ヶ月ほどたったころ、右膝横にアトピーが出現しました。ステロイド治療をしていなかったためか、リバウンドはさほどひどくなく、両手が上にあがりにくくなる程度でした。1年ほど毎月東京から当院に通われ、平成27年の4月ごろには、痛みがほとんどなくなり、漢方を飲むのを忘れるほど回復されました。

 

リウマチ性多発筋痛症、線維筋痛症の症例報告

 

1例目:68歳 男性(リウマチ性多発筋痛症)

 

この患者さんは、教員を65歳の定年まで長年やってこられました。職場のストレスは非常に多かったそうです。それでも大きな病気はなく、ぎっくり腰や花粉症になった時には、近隣の鍼医院に受診をされ、内服薬は一切使用せずに過ごしてこられました。定年退職前の65歳、2018年2月にA赤十字病院で人間ドックの検査をされました。この大腸検査でポリープが見つかり、癌と診断されましたが、経過を見ることになりました。

 

退職後の2018年4月から、障がい児の放課後デイサービスで常勤指導員として働き始め、大自然の中で、草刈り、薪つくり、畑つくりなどに従事されました。新天地では楽しさと感謝の気持ちで仕事をしていたそうです。

 

2018年8月の大腸の検査でも経過観察はありましたが、特に異常なし。白血球数8900、CRP0.11

しかし、5月頃からで右肩が上がらなくなります。B整形外科病院を受診され、腱板損傷と診断され、12月には左肩も上がらなくなりました。

 

2019年

1月は、身体の疲労が取れなくなり、膝、股関節、肘のこわばりが出てきて、屈むことや衣服の着脱、ベッドからの寝起きが難しくなりました。2月に受けたA赤十字病院の検査では、白血球数12100、CRP1.83。3月の再検査では、白血球数12700、CRP6.07と上昇。精査加療目的で入院することになりました。入院中、胸部X線、肺CT、胃カメラ、心電図などの検査をしましたが、異常なし。関節の痛み、こわばりからリウマチ性多発筋痛症の疑いがあると診断され、プレドニゾロン錠15mgを処方されます。医師は、これを飲んで楽になったらリウマチ性多発筋痛症ですと言ったそうです。プレドニゾロンを朝食後に服用し始めると症状が楽になったため、夕食後にもプレドニゾロン錠5mgを飲むよう指示されます。同時に、起床時に骨粗鬆症のボナロン経口ゼリー35mgも処方されました。膝や股関節のこわばりが徐々になくなり、屈むことや衣服の着脱、ベッドからの寝起きが楽になり、普通に体が動くようになりました。医師からステロイド剤の副作用についてのプリントを渡され、多くの副作用があることが書いていましたが、身体が動けばいいと思い、あまり深く考えなかったそうです。

A赤十字病院での処方:プレドニゾロン錠、ボナロン経口ゼリー

 

退院後、2週間ごとに通院し、血液検査をしてCRPが0.2mg/dL以下なら、プレドニゾロン錠が1mgずつ減っていきました。血液検査でLDH(悪玉コレステロール)の数値が徐々に上がってきたため、7月よりロスバスタチン5mgも服用し始めます。9月からは4週間ごとの通院になり、1日に朝食後プレドニゾロン錠10mgになりました。10月には1日プレドニゾロン錠9mgになりましたが、CRPが0.2mg/dL以下にならなくなり、2020年1月にやっと1日プレドニゾロン錠8mgに減りました。体は普通に動けるようになっていましたが、徐々に顔や手足のむくみが出てきました。また、6月にはのどに違和感を覚え、声がかすれるようになりました。2020年12月、ある日突然、脇腹に痛みが出現し病院に行くと、特に打った覚えがないのに左の肋骨骨折が見つかります。

 

この頃、当院の元患者さんの知人から、ステロイドの副作用のことや当院のことを教えてもらいます。さらに当院の元患者さん有志で作られた患者会のサイトをご覧になり、体験記の数々を熟読され、当院に通院することを決められました。

 

2020年1月24日に初診で来られ、ステロイド剤の量を徐々に減らしていくように指示しました。漢方の煎じ薬は2種類を1日3回毎食前後、抗ヘルペス剤のアシクロビル400mgを1回5錠1日4回朝昼夕寝る前、漢方風呂2週間で4回分と塗り薬の紫雲膏を処方しました。漢方薬を飲み始めてお腹がゆるくなり、1日に3~4回お通じがありました。またビタミンCとマルチビタミンを標準の3倍量を飲むように指示しました。11月からビタミン剤はシーピー配合顆粒を1回3袋1日3回毎食後を処方しました。

初診の翌日1月25日からプレドニゾロン8mgを5mgに、2月8日から3mgに、2月22日から2mgに、3月7日から1mgにと減らしていき、3月21日からは飲むのを中止しました。ステロイド剤を減らし始めてリウマチのリバウンドが起き、2019年1月と同じく膝や股関節、肘のこわばりが出て、屈むことや衣服の着脱、ベッドからの寝起きが難しくなりました。4月末頃がリバウンドのピークとなり、左肩が上がらなくなります。5月に入ってからは、朝のこわばりは少しずつ良くなります。

6月頃からは、身体に発疹が出始めて痒みも出てきました。7月になると身体中に発疹が広がり、痒みが徐々に強くなり、漢方風呂に入ると痒みが和らぐということで、頻繁に入浴してもらいました。痒みは10月から徐々に良くなり始め、11月半ばには痒みが急に弱くなりました。

10月30日の血液検査は、単純ヘルペス142.0(2.0未満)、水痘帯状ヘルペス10.1(2.0未満)、白血球数10400、CRP0.40(0.30以下)、LDLコレステロール172(70~139)でした。

10月から右肩が上がらなくなりましたが、左肩は12月頃からは治ってきました。顔や手足のむくみも少しずつ取れてきて、のども10月頃には気にならなくなりました。階段の上り下りも片足ずつしていたのが、1月には上りは交互が可能になり、3月には下りも交互が可能になり、日常生活は普通に送れるようになりました。しゃがんで草刈り作業をすることは長続きできないので、椅子に座って作業されています。あぐらはかけますが、正座はまだしんどいようです。2021年3月には左肩も上がるようになり、4月には痛みもなくなりました。手足の指のこわばりはほとんどなくなり、手足のむくみもなくなりました。歩行は全く問題なく、走ることも可能です。徐々に身体に力が入るようになったと喜んでおられます。

 

2例目:55歳男性(リウマチ性多発筋痛症)

 

この患者さんは、2015年の5月中旬ごろ、股関節の違和感と少しの痛みを感じ始め、6月に入ると、股関節の痛みに加え、腰が重たく感じるようになり、足の裏側全体も痛くなり、歩きづらくなりました。さらに体がだるく、37.2~37.8℃ぐらいの微熱があり、喉も痛くなってきたため耳鼻咽喉科を受診されます。扁桃腺炎と診断され、抗生剤の点滴を3日間打ってもらいます。足の痛みが取れなかったので、再度抗生剤の点滴を受け、ロキソニンを処方されました。

耳鼻咽喉科での血液検査 CRP:3.6、リンパ球:6.0

耳鼻咽喉科での処方:抗生剤の点滴、ロキソニン

 

6月に入っても関節の痛みがなかなか取れず、特に朝起きた時にはすぐに起き上がれないほどでした。足を曲げることが困難になり、歩くことも大変になってきたため、内科を受診されます。血液検査の結果、医師に「CRPの数値が高く、炎症が起きていることは解かるが、原因がわからない」と言われ、痛み止めの点滴注射を打ってもらい、カコナール、セレコックスを服用されました。薬を服用すると一時的に良くなりましたが、すぐにまた微熱が出て、体がだるくなり痛みも出るという繰り返しでした。

内科での血液検査 CRP:3.52、γGTP:273、抗CCP抗体:0.6未満

ないかでの処方:カコナール、セレコックス

 

7月には、股関節の痛み、両足全体の裏側の痛み、肩から上腕にかけての痛み、腕が上がらない、足を曲げて座ることができない、朝すぐに起き上がれない、手のひらのこわばり、夜中痛みで起きてしまい眠れない、歩行が困難と、日常生活が遅れない状態になってしまいます。総合病院である市民病院を受診。血液検査、CT、エコー、尿検査、心電図など、あらゆる検査をした結果、リウマチ性多発筋痛症の疑いという診断が下され、即入院となります。リウマチ性多発筋痛症は、側頭動脈炎という合併症がしばしば起こるため、側頭部の動脈を切って検査する手術も受けられましたが、結果、合併症はありませんでした。 入院して一週間は、セレコックスのみ1日3回服用し、1週間後からは、プレドニゾロンを朝5mg、昼5mg飲むように指導され、ロキソプロフェンも同時に服用しました。

市民病院での処方:セレコックス、プレドニゾロン、ロキソプロフェン

 

2週間後、血液検査の結果、CRPの数値が下がったので、退院して自宅療養する事になりました。退院時には、入院前に比べれば体の痛みは軽減されたもののまだ少し残っていたので、プレドニゾロンを朝10mg、昼5mgと入院中より増量され、2週間分が処方されました。7月27日、ステロイド錠を飲み始めて3週間後、いまだに痛みが取れないので市民病院の医師に相談したところ、ステロイド錠を増やすことになりました。処方されたのは、プレドニゾロン朝15mg、昼15mg、ロキソプロフェン、骨粗鬆症の薬でした。

 

2015年8月4日、ステロイドの副作用が気になり、インターネットでリウマチ性多発筋痛症を検索され、当院のホームページに辿りつかれました。着いたのです。当時、掲載されていたリウマチ性多発筋痛症の手記を全て印刷して読まれたそうです。手記に対する私のコメントや論文を読み、来院を決意されたようです。

 

8月7日に当院に初診で来られました。まずはステロイド錠の量を減らしていくことから始めました。8月8日~8月10日は1日5mg、8月11日~8月19日は1日2.5mg、8月20日~8月26日は1日1.25mg、8月27日から服用を中止しました。

漢方煎じ薬を毎食前後、アシクロビル400mgを1日3回、漢方風呂を1週間2回分、お灸のもぐさと塗り薬の紫雲膏を処方し、毎日漢方薬等の服用とお灸を継続するよう指導しました。お灸は、手の届かないところは奥様や息子さんに協力してもらったそうです。また、患者さんは愛知県にお住まいであったので、ご自宅の近くの鍼灸院に8月22日より週に2回通院したそうです。

8月は、微熱(37.4℃ ~38.4℃の微熱、特に夕方から夜にかけての体のだるさ、両足全体の裏側の痛み、歩行が困難、肩から上腕にかけての痛み、腕が上がらない、左の手の腫れ、指が曲がらないなどで、体重が4kg落ちました。

 

9月初めから本格的にリバウンドが始まり、37.1℃ ~37.4℃の微熱が続いていました。症状は、特に夕方から体がだるい、両足裏側の痛みがあり、特に朝方足が曲がらない、やっとベッドから起き上がっても、小刻みにしか歩くことができない、夜中、痛みで30分おきぐらいに起きてしまい眠れない、どんな体勢になっても体が痛い、左手の手のひらがパンパンに腫れて動かない、両腕にガラスが刺さったような痛みが部分的に集中する、その部分が移動して、あちこち痛い部分が変化していく、カッターシャツのような前ボタンのあるものは着ることが出来ない、ズボンは、下げることはできるが上げることがとても辛い、お風呂は入る時はいいが立ち上がるときは自力ではできず、手すりに掴まらないと立ち上がる事が出来ない、頭が洗えないし、背中を拭きとることができない、といったようなかなり辛い症状でありました。

 

10月初めごろより、微熱が少し下がり始め、夜は1時間~2時間程度ではありますが、眠れる時間が少しずつ増えてきました。体の痛みについては、9月とほぼ変わりなし。

 

11月には微熱がほとんど上がらなくなり、夜は3時間ぐらい眠れるようになりました。左手の手のひらの腫れが少しずつひき始めました。肩から上腕にかけての痛みはまだあり、特に朝方は強い痛みがありました。足の痛みはまだありましたが、階段の上り下りは少し楽になってきたようです。

 

12月は、さらに改善傾向がみられ、夜中は4〜5時間くらい眠れるようになりました。また、左手の手のひらの腫れがなくなり、握れるようになりました。体重も増え、元の体重に戻りつつあります。腕が垂直に上がるようになり、衣類の脱着ができるようになりました。自動車の運転に支障がなくなり、買い物に出かけられるようになりました。階段の上り下り足の痛みを感じずスムーズにできるようになりました。無理をしなければ、徐々に日常生活に支障がなくなってきました。

 

初診から5ヶ月、12月18日に診察に来られた時に、12月25日より職場復帰をしたいと申告されましたので診断書を書きました。少し痛みはあるものの、仕事にはほとんど影響なく、日常生活も元気に過ごされています。

 

 

3例目:36歳 女性(線維筋痛症)

 

この患者さんは、15年前(2008年)に、車の運転中に単独事故を起こされ、体中が痛くなり病院を受診してムチ打ちと診断されました。すぐに入院するように勧められましたが、保育士の仕事が忙しく、入院を断って仕事を優先したそうです。病院や整体などに通っても痛みは取れず、首と腰にコルセットをつけながら無理をして仕事を続けられました。すると徐々に症状は悪化し、数ヶ月後には、痛みやだるさ、吐き気などに加え、さらには顔面痙攣まで発症してしまい、最終的には働くことができなくなり仕事を辞めることになってしまいます。

 

病院でいくら検査をしても異常なしでしたが、仕事も家事もできず、家で寝たきりのような生活になってしまいました。不眠症にもなり知人からメンタルクリニックを勧められ受診。まず眠剤が処方されましたが、さらに、痛み、だるさ対策に安定剤や抗うつ剤などを大量に出されるようになります。体調は少し良くなったものの、震えや幻覚、幻聴などに悩まされるようなったり、気分の浮き沈みが激しくなり、自殺衝動が沸いてくることがあり、何度かリストカットもしてしまいます。

メンタルクリニックでの処方:デパス、セルシン、マイスリー、ベンザリン、ノバミン、ウインタミン、ソラナックス、メイラックス、パキシル、レキソタン、レンドルミン、トレドミン、トリプタノール、ハルシオン、セロクエル、コントミン、ドラール、リーゼ、テルネリン、アキネトン、テグレトール、バレリンなど。

 

その後、2005年に結婚されましたが、体調はさらに悪化。顔面痙攣を治すために受診した大学病院で、医師から痙攣は薬が原因なので直ちにやめるようにと強く指示され、断薬をするも、体調が急激に悪化し、過呼吸発作が何度も起こるようになります。他の大学病院をいくつも受診されますが、異常なし。精神的な問題と片付けられてしまいます。ご主人だけは患者さんの気持ちを全て理解してくれていたので、それだけが支えだったそうです。

 

全身の痛み、だるさの症状以外に、この頃から筋力が著しく落ち、手に力が入らなくなります。ハシでご飯を食べたり、ペットボトルも開けたりできなくなり、重い扉も一人では開けられなくなってしまいます。握力検査は、左右ともに7kg程度でしたが、日常生活には問題なしと診断されます。

 

なかなかはっきりした診断をしてもらえないため、ご自身で自分の症状について調べ、脳脊髄液減少症ではないかと疑うようになり、専門病院を受診されます。検査の結果、脳脊髄液減少症に間違いないと診断されました。ブラッドパッチという治療を受け、約1カ月の入院治療をされますが、体調はさらにひどくなってしまいます。全身の痛みはむしろ以前よりも激しくなりました。2008年になり、半年後の再検査で医師は、脳脊髄液減少症は完治したが、おそらく線維筋痛症になった可能性が高いと言いました。脳脊髄液減少症の治療の副作用で発症する人が少なからずいるとのこと。毎晩、過呼吸の発作の後、全身が硬直状態になってしまい、硬直後に手足に猛烈なしびれが襲ってきて、あまりの激痛に失神することもしばしばあり、ご主人やご両親に明け方まで看病してもらう日々が続いたそうです。

 

この頃から、左足が動かなくなり、杖をつかわないと歩けなくなります。病院の検査では相変わらず原因不明で、ストレスや精神的な問題と片付けられるため、ご主人は病院治療に見切りをつけ、東洋医学などの自然治療に目を向けるようになります。ご主人の提案でカイロプラクティックや鍼灸治療、ホメオパシーなど、いろんな治療を試されました。どれも痛みにはとても効果があったそうですが、その効果は一時的なもので終わってしまうか、あるいは1つの症状がおさまったと思えば別の症状が出るといった状態が続いたようです。ただ服用されていた抗うつ剤や眠剤などは少しずつ減らすことができるようになり、最終的にほとんどの薬を断ち切ることに成功されました。

 

体の痛みはどんどん悪化し、特に股関節が万力で締め付けられたり、尖ったガラスの破片でグサグサ刺されているような激痛に襲われます。痛みで夜眠れない日も多く、明け方になって気絶するように寝るか、ひどいときは2〜3日間一睡もできず、ひたすら痛みに耐え続けることもあったそうです。効果があった自然治療も全く効かなくなり、家の中は杖で移動し、外出は車椅子、一日のほとんどを布団の上で過ごすという日々が3年ほど続いたそうです。ご主人と疑わしい病名を調べ、いくつも専門病院をめぐって検査を受けられました。そして疑いも含め、線維筋痛症、脊椎関節炎、バセドウ病、橋本病、慢性疲労症候群、臼蓋形成不全などの病名がつけられました。

 

痛み止めを飲んでもあまり効果がないため、できる限り飲まないようにされていたそうですが、リリカ、ボルタレン、ノイロトロピン、セレコックス、レリフェン、カロナール、ツムラの漢方薬、ブシ末などをたまに服用していました。医師に相談するとプレロンというステロイドを処方され、服用するとほんの数分だけ痛みが和らいだもののすぐに悪化し、その後は拷問のような強い痛みに苦しめられたそうです。また、股関節の異常については臼蓋形成不全と診断され、医師からは、この病気は生まれつきのものだから治る見込みは薄く、今のうちに手術で人工股関節にしたほうがいいと勧められました。この頃から、自然療法にも限界を感じた患者さんと、あくまで自然医療系で治療を望むご主人と、治療方針について主意見が食い違うことが多くなっていったそうです。

 

2011年10月に、ご主人がインターネットで当院のことを発見されました。私の理論を読んで理解され、その概要を体が動かない患者さんに丁寧に伝えたそうです。距離と金銭的な問題で通院を躊躇されましたが、ご主人の可能性があるならすぐに行くべきとの強い説得で、2週間後に埼玉から来院されました。

 

初診ですぐにヘルペスウイルスが原因で様々な症状が起こっていると診断しました。線維筋痛症もその1つであります。1日3回の漢方煎じ薬と、2日に1回最低1時間の漢方風呂、そしてお灸を痛む箇所を中心にできる限りたくさんやるように指導しました。またお灸は途中でもぐさの火を消さず最後まで焼き尽くした方がいいとも伝えました。手足や股関節は患者さん自身でやり、背中や腰はご主人に据えてもらったそうです。これで治るなら頑張るということで、毎日お灸を数百ヶ所もされたそうです。さらに抗ヘルペス剤を処方し、毎日大量に服用してもらいました。以前から服用されていたバセドウ病の薬のメルカゾールはひとまず継続してもらい、鍼治療も受けるように指示されていたので、地元の鍼灸院に通って鍼治療も受けるように指導しました。

 

初診から1週間後、血液検査の結果は、CRPは異常なしでしたが、単純ヘルペスの値が116.5(正常値2.0未満)と高く、ヘルペスが原因でまず間違いありません。また、甲状腺の状態を示す抗サイログロブリンの数値がやや高めで109(基準値は28未満)、THSも少し高く5.64でした。線維筋痛症の症状が、数値で示されたのは初めてだということで、とても喜ばれ、ますます治療に励むとおっしゃっていました。

 

ただ、検査結果が出てまもなく、リバウンドが起こり、それまで以上のひどい激痛が全身に広がりました。患者さん曰く、体にガラスの破片がグサグサ刺されるような痛み、全身(背中・手・足・首・肩など)にピリピリする痛み、股関節を鉄板でプレスされているような痛みなど、掛け布団が身体に触れるだけでも痛みが走るような状態で、痛くて気が狂いそうになったそうです。痛みと倦怠感で歩くこともできず、トイレにも這いつくばっていくような状態でした。食事もまともに取れず、休憩しながらなんとか食べたそうです。

 

治療開始から1ヶ月経過すると、背中にアトピーが出現しました。1~2mmくらいの小さな赤い発疹が脇腹、腹、尾てい骨あたりにまで広がりました。アトピーが出現するということはクラススイッチが進んでいるという証拠であります。また股関節の激痛が半減し、それまでとは比べ物にならないくらい生活が楽になったそうです。たったの1ヶ月でかなり改善が見られたので、患者さんもびっくりされたそうです。

 

治療開始から半年、体調はさらに改善。股関節の一部と首以外、痛みの大部分が消え、ある程度家事ができるくらいに回復されました。全く力の入らなかった手足も力が徐々に戻ってきて、お箸でご飯も食べられるようになっていきました。バセドウ病の症状も出なくなったため、メルカゾールも中止しました。このときの血液検査では、単純ヘルペスの値は115.1、他の値は異常なし。また甲状腺の状態を示す抗サイログロブリンの数値は28以下、THSは2.23と、どちらも基準値にまで下がりました。

 

治療から1年経過、2013年の3月には、体調もさらに改善し、ウォーキングをしたり、短い距離であれば走ることもできるようになりました。走ったのは10年ぶりぐらいだそうです。車の運転も出来るようになり、股関節の激痛はほぼ完全になくなりました。生理前だけはまだ少しだけ痛みがぶり返すことがありますが、普段は全く痛みが出ない状態にまで回復されました。激しいリバウンドを乗り越え治療をやりきることができたのは、ご主人やご家族のサポートがあったからです。治療終了後は、念願であった子供を授かることを目標に元気に過ごしておられます。

 

潰瘍性大腸炎、クローン病の症例報告

 

1例目:15歳 男性

潰瘍性大腸炎→クローン病 

 

この患者さんは、高校1年生の時に発症しましたが、今では完治しています。この症例報告は、患者さんの詳細な記録をもとに作成しています。

 

患者:当時15歳、男性、学生。この患者さんは数学の天才です。もし世界中の医者が口をそろえて言うように、潰瘍性大腸炎やクローン病が治らない不治の病であれば、彼の類まれなる数学の才能は永遠に発揮されなかったでしょう。しかし、現在、彼は位相幾何学(トポロジー)に全身全霊に向けて打ち込めるようになっています。彼の大成功を心から祈ります。

この患者さんは、まず私の“自己免疫疾患はない”という理論を完全に理解されたうえに、さらに炎症性腸疾患である潰瘍性大腸炎やクローン病の治し方を完全に理解されて、自分の免疫で完治させた最高の学生さんでした。

 

2009年12月初めに潰瘍性大腸炎の症状が出てきました。当時、有名な公立の進学校に入学し、勉強と部活と行事を両立させようとしてストレスが極限状態であったためです。また、患者さんがとても生きがいをもってやっていた和太鼓も忙しさゆえに行けなくなり、ストレスを発散することもできなかったのでしょう。この時ストレスに対抗しようと自分の副腎皮質からステロイドホルモンを出し続け、免疫の細胞の中に直接入っていき、ステロイドがDNAの転写酵素に影響を与え、IgGから、IgE抗体への遺伝子のクラススイッチができなくなったのです。まさに自分で自分を傷つけていたのです。そして外出先で腹痛によりトイレに駆け込むと、トイレが血の海になりました。症状が出た後、2つ掛け持ちした部活を1つは退部、もう1つは休部状態になってしまいました。

患者さんはパソコンで「腸出血」などで調べて、癌やほかの病気の不安と恐怖に駆り立てる説明をみて、自分は死んでしまうのかとさらに不安と恐怖に駆られ、発症から1週間経ってからご両親に相談しました。痔かもしれないと思い市販の痔薬を買い使ってみましたが出血は一向に収まらず、肛門科を受診されました。そこではいぼ痔と診断されて、強力ポステリザン軟膏(ヒドロコルチゾン2.5mg含有)を処方され服用しますが、それでは出血は治まりませんでした。

処方:強力ポステリザン軟膏(ヒドロコルチゾン2.5mg含有)はステロイドホルモン軟膏です。

 

2010年3月終わりごろ、潰瘍性大腸炎かクローン病の疑いにより初めての大腸内視鏡検査を受け、潰瘍性大腸炎と診断されました。

消化器専門病院でペンタサ錠3錠を処方され、服用すると出血が止まりました。患者さんは出血がなくなったことに素直に喜び、当時は潰瘍性大腸炎の治療は炎症を抑える治療が一番なのだと思い込んでしまいました。

処方:ペンタサ錠3錠。ペンタサ錠はメサラジンや(Mesalazine)はメサラミン(mesalamine)とも呼ばれる抗炎症薬の一つです。

 

しかし2011年1月頃、出血が再発しました。それに伴いペンタサ錠9錠と増え、ペンタサ注腸も使用するも出血は止まりませんでした。

処方:ペンタサ錠9錠、ペンタサ注腸。

 

2月の終わり頃、患者さんの希望によりプレドニゾロン20mgを処方されたものの、ステロイドの恐ろしさを知っていたためすぐに飲むことはなかったのですが、いっこうに出血が治まらなかったため2日後に服用してしまいました。服用2日後に出血が止まったので、早々にプレドニゾロン20mgを減量し3月終わりには5㎎になっていました。

処方:プレドニゾロン20mg→プレドニゾロン5㎎。

 

高校3年生、担当医が変わると対応が冷たくステロイドをもう少し飲んだ方が良いと言われ、医療をビジネスでしか見ていないと感じ、家の近くのIBD治療を行う開業医に変えました。今までずっと服用してきたペンタサを大腸まで届くように改良されたアサコールによる治療に変わりました。治療をすると少しまだ残っていた出血が収まりました。ステロイドからも離脱し、寛解に至りました。

処方:アサコール。アサコールの 特徴はそれまでのペンタサやサラゾピリンの大部分が小腸で吸収されてしまい、大腸まで十分に届けることが難しかった点を改善しています。

 

寛解して5月頃には普通の生活を送れるようにまでなり、アサコールも調子がいいときは徐々に自分で減らしていきました。

9月、学校の文化祭が終わり、気持ちがホッとしたのと、受験勉強というプレッシャーから血便が出始めてしまいます。血の量はどんどん増えていき、今までなかった激しい腹痛が出てきました。腹痛の原因はヘルペスだったのです。便も下痢となり、アサコールを増量してもどうにもなりません。

10月終わり頃、内視鏡を受けると大腸はボコボコで、やけどのようになっていました。毛細血管はズタズタになっていて、炎症は回盲部まであり小腸にも少し炎症が見られ、全て見終わると潰瘍性大腸炎の全型と診断されましたが実はクローン病にもなってしまっていたのです。

11月初め、紹介された大学病院にてクローン病の疑いと診断され、患者さん希望により顆粒球除去療法(GCAP)を受けました。しかし、食欲がなくなり、お腹を抑えて寝ることしかできなくなりました。手足の冷えも激しく、CRPも悪く貧血もひどかったため絶食治療と入院をすることになりました。

治療:顆粒球除去療法(GCAP)。顆粒球除去療法(GCAP)は、血液の一部を体外へ連続的に取り出し白血球の顆粒球や単球を血液から選択的に除去できる白血球成分除去療法用吸着器に通し、その後、血液を体内に戻す治療法です。顆粒球除去療法(GCAP)は 1度の活動期につき潰瘍性大腸炎の治療としては10回または11回まで、クローン病の治療では10回まで実施が可能です。この血液を体外に取り出す治療法は体外循環療法といい、いろいろな疾患や難病で数多く行われています。

 

入院した日の夜に点滴と週2のGCAPの入院治療を始めました。GCAPの治療もひどく辛いものですが絶食治療もとても辛いものです。入院中にクローン病の疑いということで、胃の内視鏡検査もされましたがひどく苦痛だったはずです。そして入院して一週間くらいたった後、やっと食事が再開されました。そして二週間くらいたった後にCRPが徐々に下がってきているということで退院されました。その後もGCAPを頑張って続け、激しい痛みに耐えながらも11回やった後にようやく出血が止まりました。11月終わりのころでした。便も固形となってきました。

治療:顆粒球除去療法(GCAP)。

 

退院して1週間、親族と退院祝いの中で出された鰻を食べた後に腸がギュルギュルと鳴り異変を感じました。鰻は脂質が多く含まれている魚です。異変から1週間後くらいに下痢、出血が出始めました。すぐ病院へ行き、もう一度GCAPをしてもらうと思いましたが回数が11回までと決まっており、透析科の先生にもお願いしないといけないと言われてしまったので、プレドネマ注腸を処方してもらいました。しかし、プレドネマ注腸を行うも少しずつ悪化していきました。

処方:プレドネマ注腸。成人は、1回量プレドニゾロンリン酸エステルナトリウムとして22mg(プレドニゾロンリン酸エステルとして20mg)を注腸投与(直腸内注入)します。プレドニゾロンはステロイドホルモンです。

 

2012年、腹痛、出血ともに良くならず、センター試験が近いていたため、経口ステロイドを始めてしまいました。センター試験も腹痛があるなか受けられました。食事制限も厳しくとても辛かったでしょう。このころに漢方に興味を持ち、都内の病院で漢方を処方されましたが一向に良くなりませんでした。そして2月半ば頃から私立大の本試験、国立大の二次試験も症状が良くないまま受けました。

処方:経口ステロイド。

 

高等学校卒業後、4月、今後の治療方針を決めるため内視鏡検査を実施され、結果、クローン病と診断されました。しかし、クローン病と診断されたのが分岐点でした。

のちに、インターネットで松本医院を見つけ、4月半ば、新幹線の中で腹痛に耐えながらも当院を受診されました。血液検査と免疫を上げる鍼灸治療を行い、診察しました。

治療:鍼灸治療

処方:漢方薬(食前、食後の2種類)、漢方風呂、赤色と黄色の塗り薬、抗ヘルペス剤。

 

ご自宅に帰られたその日の夜に漢方薬を作られましたが、漢方薬は吐き気がするほど苦くて苦戦されました。しかし2~3日飲み続けると便が固形になり、出血も止まりました。

大学病院での採血結果、これまでCRPの値4が0.1と正常値になっていました。

漢方風呂も免疫細胞が活発化しているイメージが湧くような、身体の芯から温まるように感じ、前々から悩まされていた手足の冷えもポカポカしてきました。受験勉強を自分のストレスにならない程度にして、毎日煎じ薬を飲み、お灸とマッサージを続けました。

 

漢方薬を初めて1~2ヶ月後、リバウンドにより止まっていた出血が再発しました。患者さんは理論をしっかり読んでいたので、「体が元に戻ろうとしているのだ。」「免疫の遺伝子を修復するのには出血もしょうがないことでしょう。」と理解していました。出血止めの漢方薬を処方しました。(患者さん曰く、この漢方は今までの漢方と違って甘くてやみつきになってしまい、今では一日の楽しみとなったそうです。)またこの頃から手のひらに湿疹ができるようになりました。湿疹を掻いた傷口に赤い薬を塗ると、すぐにかさぶたになってくれます。

他のIBDの患者さんの手記で見たような壮絶なリバウンドが来ると覚悟されていましたが、2〜3ヶ月ほど慢性的な出血だけでそのうち治まりました。カレーを食べても何ともありませんでした。

ストレスを溜めないためにも和太鼓を続けてもらいました。

手のひらの湿疹が増え、痒くて夜眠れない日がたまにありましたが、そのうち出血は止まりました。アトピーへクラススイッチしたことにより、潰瘍性大腸炎の症状がなくなったため、アトピーの治療に切り替えました。

 

2012年9月頃、受験勉強のためストレスがかかってしまい、治まっていた下血が再発しました。アトピーも出ています。

処方:漢方薬(断痢湯、きゅう帰膠艾湯)と粉薬(たまに抗ヘルペス剤と鼻炎用の粉薬)

 

下血だけで下痢や腹痛もほとんど無く、軟便程度で、日常生活は過ごせるようになっていました。

大学受験は終わり、新しく大学生活を迎えた2013年、9月頃、下血が止まりましたが、下血止めのきゅう帰膠艾湯をしばらく処方し、9月半ばで完全に完治したので治療を終了しました。

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